2007年02月08日

ネットから長文が消えた理由

 ITmedia +D LifeStyleに、「ネットから長文が消えたいくつかの理由(小寺信良)というコラムが掲載されている。

 ブログやSNSなどに掲載される記事で、長文が少なくなったことに関していくつかの考察を行なっていて興味深い。

 ところが、小寺氏は文中で次のように記している。

 このようなウインドウに対して長文を入力するのは、辛いものがある。なぜならば長文を書くということは、とりもなおさず自分で書いたものを何度も読み直して、推敲するということに他ならない。だが文章全体の見通しが利かない狭いウインドウで、しかも行間がぎっしり詰まっているのでは、とても長文を入力しようという気にはならない。(中略)
 ブログなどに文章を綴る際、パソコンの能力的には下書きの紙も無駄にならず、文の入れ替えや一括置き換えなども簡単にできるはずだ。ただ文を推敲するための仕組みが、絶望的にまでうまくできていない。

 ありゃりゃ、氏はコラムを書くのに、ブログの記事作成ウィンドウで文章をお書きになっているのかな。
 いや、だって氏も書かれているように、うっかりブラウザの戻るボタンを押して、記入した文章が一瞬でなくなってしまったりするのは、とても恐くて文章など書けない。
 通常は、エディタなりメモ帳なり、何らかの文章作成ソフトを利用して記事を作成し、これをコピペしてるんじゃないのかな。少なくとも私はそうです。
 で、そのエディタ側で、フォントの設定や表示を変更することで、推敲しやすい環境を作っているのではないのかな。

 とすれば、ブログの記事作成ウィンドウなどペーストするための領域で、何も文章を記述するための領域ではなくなってくる。この領域がどんなに見やすく、推敲しやすいものになろうと、たぶん私はエディタで作成し、コピペするといった作業を省略しないだろう。

 ネットから長文が消えた(消えてはいないんだけど、全体的に見れば少なくなった)のには、もっと別の理由があるのではないだろうか。
 たとえば、長い文章を読む環境にない、という点がある。筆者は仕事がら、他のネットユーザーより、たぶんかなり長い間パソコンの前に座り、ネットの文章を読んでいると思う。
 だが、まとまった長い文章や難しいテーマに関する論評などは、やはりじっくりと紙で読みたいと思うものだ。疲れたら横になり、ときにはトイレに立ち、読み止しの部分に栞をはさむ……、そんな機能を、少なくとも据え置き型のパソコンには望むべくもない。ネットに、あるいは大雑把にディスプレイ上と言ってもいいかもしれないが、ここに求められているのは、コマ切れでざっと目が通せる「情報」そのものなのではないだろうか。

「読まれる」あるいは「読ませる」ために、これまで紙によるさまざまな取り組みがなされてきたが、ネットではこれらとは別次元の取り組みが必要なのだ。ネットの書き手は、これを経験的にかぎ分けているのだろう。ザッピングされる情報のなかでは、長い文章が嫌われる傾向にあることを。

 長文が少なくなったのは、ネット上では長文に対する需要が少ないという、ごくありきたりの理由なのではないだろうか。

投稿者 kazumi : 2007年02月08日 13:06 | トラックバック |


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