2004年09月17日

平凡パンチ1964

 雑誌の仕事を減らしてから、だいぶたつ。もともと月刊誌から入り、雑誌を渡り歩いて、その雑誌の記事から単行本を書くようになり、現在ではほとんど単行本を月刊誌のように書いている。

 しかし、それでも雑誌は好きだ。原点だとも感じている。まだ中学・高校で田舎にいたとき、東京の情報はテレビよりもむしろ雑誌から入ってきた。毎日学校帰りに書店に寄り、1時間ほど飽きずに色んな雑誌を立ち読みしていた。毎日3件くらいの書店に寄っていたものだ。
平凡パンチ1964
 平凡パンチが創刊されたのは、残念ながら記憶にない。1964年だから、ぼくはまだ小学校の低学年だった。しかし、それから2、3年後には、秘かに近所の書店でときどき買っていた、マセたガキだった。
 その当時の平凡パンチの話、それに続くデラックス・パンチの話を、創刊に立ち合い、実際に編集し、のちにマガジンハウスの社長になった赤木洋一が書いたのが、「平凡パンチ1964」(赤木洋一/平凡社/平凡社新書)だ。平凡パンチよりも、ほとんどがデラックス・パンチの話で占められている。

 パンチやデラパン(デラックス・パンチ)そのものも面白かったが、それを編集していた編集部の話はもっと面白い。そして、それを可能にしていた時代そのものも。それを当事者が書いているのだから、面白くないわけがない。一気に読んでしまった。

 現在の雑誌には、まだあの当時のような熱気は残っているのだろうか。雑誌や雑誌編集部から遠ざかってしまった現在、ぼくには知る術もないが、当時の平凡出版(現マガジンハウス)のような熱気や活気、あるいは名物編集者は、もう存在しえないのではないだろうか。

 数年後、ぼくはパンチの対抗誌で毎週記事を書くようになったが、まったく同じ頃に友人がパンチで記事を書いていた。もともと別の雑誌の記事を共同で書いたりしていた友人だったし、アパートも近所だったから、当然ながら日常的に会う。いっしょに昼飯を食べながら、次の企画を回したり、取材先を紹介しあったりして、飯が終わるとそれぞれ対抗する編集部に顔を出したりしていた。

 雑誌は、面白かった。毎週違うネタで飛び回り、原稿を書きなぐっていた。締め切りが終わると、編集者と六本木にくり出し、朝まで遊びまわっていた。その六本木で、テレビ関係者とも会い、やはり遊びまわった。

 青年誌だから、当時取材した人の多くは有名人か学生だ。その学生のなかには、いまや超有名人になってしまった人さえいる。某大企業の社長になった人もいる。まだ大学生で、いっしょに遊んだりしていた人だ。

 平凡パンチの時代も、ぼくがまだ週刊誌で動き回っていた時代も、面白い時代だったなあと思い出さずにはいられない。そのパンチが廃刊し、ポパイが路線変更、ホットドッグプレスも廃刊が決まった。雑誌が部数を落とし、出版そのものさえ不況の波にアップアップしている。時代の曲り角にきているのだろう。「平凡パンチ1964」は、その意味でいえばタイムリーな本でもある。

投稿者 kazumi : 2004年09月17日 10:47

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