2004年08月08日

ホットドッグ・プレス休刊

 よく頑張ったと思いますね、ホットドッグ・プレスは。

「ホットドッグ・プレス」休刊、誌面刷新も部数伸びず - asahi.com : 文化芸能  講談社は6日、男性誌「ホットドッグ・プレス」と女性向け実用誌「マイン」を11月発売号を最後に休刊することを明らかにした。
 まだ駆け出しのライターのころ、1度だけホットドッグ・プレスに記事を書きました。ホットドッグ・プレスは、79年の創刊だというから、創刊してまだ間もないころだと思います。  でも、どうしてホットドッグ・プレスに記事を書いたのか、記憶がない。

 打ち合わせで、音羽の講談社に行きました。それまでにも講談社の別の月刊誌の仕事をしてたので、講談社ははじめてじゃなかったけど、ホットドッグ・プレスの編集部は新館にあった。こちらははじめて。
 若い編集者、といっても、こちらもまだ20代前半だったけど、その編集者と打ち合わせをし、横浜のサーフショップに取材に行くことになりました。カメラマンとともに取材。あの手の雑誌のショップ紹介だから、原稿だってたかがしれてた。それでも、都内から横浜まで往復し、原稿を書いて、写真にキャプションを付け、1日仕事だった。
 その原稿が、3分の1ページほどの分量で掲載され、確か原稿料が1万円にならなかったんじゃなかったかな。あまりの効率の悪さに、1回だけでやめてしまいました。

 当時この手の雑誌といえば、先行するポパイと後追いのホットドッグ・プレスのみ。前後して、ぼくは青年週刊誌の記者として取材、執筆をしてましたが、こちらは特集4ページで、取材費3万円、原稿料4万円だった。都内2、3件の取材と、電話取材だけなら、取材費はほとんど残り、週1本で7万円の収入になった。それと比べると、やはりホットドッグ・プレスは効率が悪すぎた。

 同じころ、やはり講談社系の新しい出版社から新雑誌が創刊された。その創刊準備号、俗にいう創刊0号に、週刊誌に掲載されたぼくの記事を見て、編集者から記事を書いてくれと依頼があった。10ページ近くの記事だった。その記事をもとに、1年後には単行本が出せた。はるか昔の話だな。

 そのときの編集者から、今日ハガキが届いた。女性誌の編集部の、社長になっていた。

投稿者 kazumi : 2004年08月08日 03:19

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