[新版]平成テクニカルライター養成講座

電子書籍になりました。新項目を追加して発売中!


技術評論社「The BASIC」連載
平成
テクニカルライター
養成講座
Text by Kazumi Takei

 



* * * * *

今月のお題
第9回(97年9月号)
ライターの収支事情


ワイはいいぞ!

「ウィー、ウィー」
 イルカがすぐそばで鳴いていた。ついさっきまで、イルカといっしょに泳いでいたのだ。
 ここはビックアイランドの異名を持つハワイ島。いまこの原稿は、ハワイ島のホテルの部屋で書いている。クーラーのよく効いたホテルの部屋だ。すぐ目の前に、子どもたちの泳いでいる小さなプールが見え、その向こうにヤシの葉が南国の太陽に照らされて輝いている。

 夏休みの旅行とお盆進行の締め切りとが、ちょうど重なって、とうとうハワイにまで来て原稿を書くはめになってしまった。書いた原稿は、CompuServeのアクセスポイントを経由してNIFTY SERVEに電子メールで送ればいい。どこにいたって仕事になる。やるかやらないかの違いでしかないのだ。
 この原稿が書きおわったら、別の単行本の原稿も書かなければならない。明日からはワイキキだ。アウトレットで、パソコンのソフトも見よう。ロイヤルハワイアン・ショッピングセンターで、このパソコンに合わせてコーチのバッグも買うのだ。

 原稿が間に合いそうもなかったから、出発寸前に松下の新しいLet's Noteを購入した。携帯用マシンとして、HP200LXや出たばかりの日本語版CASSIOPEIA、あるいはPDAとしてPilotといったマシンも持っているし、日本でなら携帯して活用もしているが、これで原稿を書くわけにはいかないのだ。Windows95も動く必要がある。
 CASSIOPEIAやPilotは、たしかにいいマシンである。PDAとしても優れている。ちょっとしたメモなら、手書き入力も楽しいし、CASSIOPEIAならインターネットにだって簡単に接続できる。

 ところが、イザ原稿を書こうと思ったら、これはもうタッチタイプのできるキーボードを備えたマシン以外の選択肢はない。しかもWindows95のソフトを動かしながら、その解説を書いたりもしなければならない。原稿ファイルを圧縮し、それをNIFTY SERVEで送るためにも、もうWindows95用ノートパソコンという選択しかないのだ。
 出発寸前での購入だっかから、システムを組むのも大変だった。なにしろフリーソフトウェアやシェアウェアといったものをたくさん使っているからだ。しかも、それらがなければ原稿が書けない。原稿を書くということだけでいっても、すでにパソコンは完全にツールになっているのである。

 さらに通信ソフト。世界中、どこにいても仕事ができるなどと言えるのも、実はパソコンで通信ソフトが動き、インターネットやCompuServeに接続できるからこそ。いまどきFAXで原稿など送っていたら、帰国してからメールで送れと怒られてしまう。
 ここ10年ほど、ほとんど毎年海外に出かけている。子ども連れでアジア、ハワイ、ニューヨークと、学校の休みにあわせて年1回、あるいは2回ほど出かける。ハワイは、もう5回目になるかな。

 海外出張では、もちろんない。完全なバカンスだ。いまどきのサラリーマンでも、ハワイやグァムに家族連れで出かけることなんて珍しくもないが、フリーともなるとけっこう大変だ。入金される原稿料を睨みながら、計画を立てることになる。計画を立てたって、その通りいかないのがフリーの収入。ボーナスがあるわけでもない。
 だが、それでも毎年家族連れでハワイにくるくらいのことはできる。この連載をよく読んで、自分なりに実践すれば、いまならテクニカルライターとしてそこそこのし上がることができるだろう。ちょっとかけ足だったが、そのくらいのことは解説したはずだ。

 しかし、残念ながらこの連載も、今回で終了となってしまった。書き忘れたこともたくさんあるが、最後にこれだけは言っておかなければならない。テクニカルライターの収入だ。

ブル崩壊の危機!?


 このバカンスの前に、ある単行本の編集者と打ち合わせをした。現在抱えている単行本の進行具合と、さらに今後の予定についての打ち合わせだ。
 そのときに、単行本の制作事情について聞いてみた。ライターだから、別に出版事情がどうなっていようが、あまり関係ないかもしれない。が、ライターだから原稿だけ書いていればいいというものでもない。現在の出版事情がどうなっているのかは、つまるところライターがどのような位置にいて、まわりの環境がどうなっているのかを把握することなのだ。それによっては、ライター稼業から足を洗うことを真剣に考えざるをえないときだってくるだろう。

 テクニカルライターの活躍現場であるマニュアル本、ソフト解説本、あるいはパソコン本といった、いわゆる理工書の環境は、それほどいいわけではない。一時期、といってもほんの2年ほど前だが、Windows95の発売によってパソコン本にバブルが到来した
。Windows95とインターネットだ。これに乗り遅れた出版社もたくさんあったが、新しく参入した出版社はもっとたくさんあった。

 それらの出版社のなかで、いまでもきっちりとした位置を保っている社は、残念ながら多くはない。粗製濫造の結果だといわれればそれまでだし、お前たちライターの質が低すぎるのだ、といわれれば頭を垂れるしかない。
 が、あれはたしかにバブルだったのだ。どんな本でも、出せばそこそこ売れたし、ライターは自分の書いた原稿を読み直すひまもなく、次々と原稿の注文がきた。

 ところが、それによって出版環境がよくなったかというと、どうもそうではなさそうだ。というのも、たとえば単行本の制作費を考えてみるといい。

 単行本を1冊作るのに、現在約250〜300万円程度かかるのだそうだ。もちろん、出版社によってこの数字は異ってくる。また、どんな本かによっても異る。たとえば、2色刷りか1色か、200ページの本か500ページを超える本か。コンパクトな本にするか、B5判の大判の本にするのか、といった要素によっても、製作費が異ってくる。さらに、初版5000部を刷るのか、2万部を刷るのかといった点でも、かなりの違いが出てくるはずだ。
 が、大手の出版社でもないかぎり、だいたいこの数字の前後だろう。というのは、理工書の場合、だいたい1冊が300ページ前後、A5またはB5判で1色、初版が5000部〜1万部といったところが普通だからだ。

 この製作費のなかには、印刷代、紙代、製本代などが含まれる。さらにページ割り付け代が入る。人件費や利益は含まれない。
 ちょっと印刷に詳しい人なら、では写植代はどうなってるのか、と不思議に思うかもしれない。そう、パソコン本やマニュアル本では、いまでは多くがDTPの導入によって、昔ながらに活字工が活字を拾ったり、電算写植機で活字を打ったりといった作業がなくなってきているのである。
 代わってDTPが導入され、これがページ割り付け代として加算されるようになった。これらを合わせて、だいたい250〜300万円になるのだそうだ。

 実は15、16年前に、やはり実用書の編集者に同じことを質問してみたことがある。そのときの答えが、250万円だった。
 中堅どころの出版社の、単行本1冊の製作費だ。当時はまだ、DTPなど影も形もないときで、フロッピー入稿が始まりつつあるといった環境だった。まだ写植のほうが多く、写植代、紙代、印刷代、製本代などを合わせて、約250万円だったのである。
 本の製作費が、15、16年前とほとんど変わらないという話もショックだ。製作費も変わらないのだから、ライターの原稿料だって変わりようがないというものではないか。

 それはともかく、1冊250〜300万円の製作費がかかると、3000部程度売れなければ出版社には利益が出ない。300部で、やっと収支トントンといったところか。3000部というのは、大変な数字ではないが、といって簡単な数字でもない。
 1冊2000円の単行本が3000部売れたとして、ライターに支払われる印税は60万円でしかない。これは印税率10%で実売印税方式の場合での話だ。支払い方式については次で詳しく書くが、1冊60万円の印税では、とてもハワイでバカンスというわけにはいかない。

 考えてみるがいい。1冊の単行本を3か月かけて書いて、その印税が60万円だったとしたら、月収20万円ではないか。ボーナスがあるわけではないから、年収240万円だ。これでは新卒の初任給の1年分にも満たない。サラリーマン生活を捨ててまでチャレンジするだけの価値があるだろうか。
 バブル期なら、それでもよかった。数で勝負できたからだ。当時、年20冊も書いた猛者もいた。だが、もう明らかにバブル期ではない。理工書の出版社は、次に何を出そうか、かなり頭を痛めている。出せば売れる時代ではないのだ。

 だが、バブルが終わったいまだからこそ、実はライターの真の勝負がスタートしたともいえる。そして、ライターが同年代のサラリーマンの2倍以上の年収を得ることも、実は不可能なことではないのである。

イター収入はガラス張り


 原稿料などといっても、出版業界で働いているか、あるいは一度でも原稿を書いて原稿料をもらったことがあるといった人以外、原稿料がどのようなものなのか知っている人は少ない。

「いいですねぇ〜、印税生活ですか」

 著書があるというと、すぐこんな反応を示す人がいる。そりゃあ、生活できるだけの印税が入ってくるなら、たしかにいいだろう。

 世の中、印税と原稿料の区別がつかない人のほうが、実は多いのではないだろうか。それほど印税だの原稿料だのというのは、魔訶不思議なものと思われがちだが、実はこんなものはガラス張りなのだ。
 雑誌や新聞、あるいはPR誌などに書いて、ライターに支払われるのが原稿料。これは1回こっきりのもの。単行本を出して、出た部数によって支払われるのが印税。この印税には、いくつかの支払い方法がある。主なものは次のようなものだ。


 (1)刷り部数の印税方式
 (2)保証部数のある印税方式
 (3)完全実売方式
 (4)買い取り方式


 これらの方式のうち理工書、つまりパソコン本やマニュアル本では完全実売方式、あるいは保証部数のある印税方式が多いようだ。一般書では、刷り部数の印税方式が多いようだが、これもまた出版社によって異っている。

 刷り部数の印税方式というのは、本を刷った部数に応じて印税が支払われる方式。たとえば、定価2000円の本を初版5000部刷ったとすれば、印税率10%では100万円の印税が支払われることになる。5000部売れなくても、支払われるのは100万円だ。しかも、再版以降も同じように計算されるから、再版で3000部刷られれば60万円が印税として支払われる。定価、刷り部数、印税率の3つがわかれば、ライターに支払われる印税は完全にわかってしまう。

 これに対して、一定の部数を保証した印税方式という方式がある。たとえば、保証部数が5000部とすれば、初版で何部刷ろうが、初版印税は5000部分の100万円になる(定価2000円、印税率10%の場合)。
 実際には出版社では、初版に3000部しか刷らなかったかもしれない。あるいは逆に、初版に1万部刷ったかもしれない。何部刷ろうが、ライターに支払われる印税は同じなのだ。

 ところが、初版部数がすべて売れ、増刷することになったとしよう。初版3000部刷り、さらに3000部増刷したとしたら、刷り部数は6000部になる。5000部分の印税は先に支払われているから、残り1000部の印税について、増刷した翌月、あるいは年1回など期日を決めて、残り1000部分の印税が支払われることになる。

 完全実売方式というのは、これをもっと厳密に計算した方式だ。初版として5000部刷ったとしても、翌月あるいは翌々月の実売数が3000部しかなければ、初版印税も3000部分の印税しか支払われない。保証分がないから、これは最初からけっこうきつい。いくら力を入れて原稿を書いても、「初版572部の印税です」などという通知が来て、かなりがっかりしたりする。ライター泣かせの方式なのだが、しかし最近ではこの方式が増えてきているようだ。

 いや実は理工書では、古くからこの完全実売方式がとられていたという話もある。理工書というのは、研究者や学生、あるいはその方面に特別の興味を持つ者しか読者がいない。読者層がかなり限定されているのだ。また研究者のなかには、印税などいらないから本を出したいといった人もいたようだ。
 現在のパソコン本は、これらとは明らかに一線を画っするもので、パソコンの普及によって、パソコン本もまた一般書に限りなく近い存在だと思うのだが、理工書出版社での印税の支払い方式が古いままなのである。

 買い取り方式というのは、完成原稿をいくらと値をつけて出版社が買い取る方式で、いわば原稿料と同じもの。初版を何部刷ろうが、ベストセラーになって何万部増刷しようが、支払われるのは最初の契約時の原稿料だけだ。
 この買い取り方式では、一般的には印税方式よりも多めの原稿料が支払われる。ただし、パソコン本がどの程度売れるかは、というよりも本がどの程度売れるかは、実は書店に並ぶまでわからないのだ。買い取り方式で原稿を書いたが、それがベストセラーになったりすると、書いたライターはかなり腐ったりする。

 また、買い取り原稿の場合、ライターから買い取ったら、あとは出版社のものという認識も強い。買い取った原稿を、別のライターにリライトさせて出すこともある。最初のライターの経験が浅い場合、あるいは専門家だが原稿は書き慣れていないなどというケースでは、よくこんな手を出版社は使う。
 これらのほかにも、出版社によってさまざまな支払い方法がある。また、一般的に印税率は10%と思われがちだが、社によっては8%や6%などというところもあるし、ときには12%もの印税率にしてくれる社だってある。さらに、初版は10%、増刷分からは8%といったところもあり、これも一定しているわけではない。

 さらにいえば、ひどいところではかなり低い定価をつけ、初版部数も少な目に刷り、これで印税率8%。増刷分については6%にしてくれ、などといってくる出版社がある。1冊書いて、かなり売れて、それでも他社の初版印税分にしかならなかったりするから、まさにライター泣かせなのだ。そのライター泣かせの出版社でも、それでもいいから本を出したいというライターがいるというのだから、世の中わからない。
 以上は、単行本での話。それも自分の名前で出る著書の場合での話だ。共著の場合では、印税の支払い方法はもっと複雑になる。

 雑誌ではどうか。雑誌の場合は、単行本の例でいえば、買い取り方式と同じである。ただし、いまどき400字詰め原稿用紙換算で、1枚いくらといった計算をするところは少ないだろう。たいていの雑誌では、1本いくら、あるいは1ページいくらといった計算をしているようだ。
“ようだ”と書いたのは、もちろん理由がある。これは出版社によって、あるいは編集部によって、そして著者によっても異っているからである。同じ雑誌だって、著者によって原稿料の支払い方法も、まして額も異っており、一概には語れないのである。
 それでもあえて言えば、多いのはページ単価で割り出して支払う方式だろう。1ページいくらという計算だ。パソコン雑誌の場合、もちろんピンきりだが、だいたい1ページ1万円〜3万円程度。5ページの特集で、5万円〜15万円といったところだ。

 5万円と15万円では、ずいぶんと開きがあるが、そういうものなのだ。モノによっては、1ページ10万円という連載もあるし、ページ単価3000円などという雑誌だってあった。すべて筆者が経験したもの。1ページ10万円の連載を書き、翌日はページ3000円で5ページものの特集を書いた、などということもある。それでも労力はほとんど変わらない。
 ただし、ひとつだけ言えば、雑誌の場合は10ページを超すような特集は、そうそうない。取材が入り、原稿分量も多く、しかもコマ切れでレイアウトに合わせて10ページ分の原稿を書くのは、かなりしんどいものだ。それでたとえば10万円になったとしよう。毎週これだけの仕事をこなしても、月40万円にしかならない。

 一方、単行本なら、ひと月で1冊くらい書くのは苦痛でもなんでもない。それでいて初版3000部でも60万円になる。これは最低クラスの印税だが、同じ労力なら単行本のほうが実入りがいいというべきだろう。筆者が、雑誌よりも単行本ライターを目指せと説いているのは、この実入りのせいでもあるし、いまやパソコン本はライターがかなり自由に企画・作成できる時代なのだ。

初の1歩を踏みだそう!


 筆者のことを、「月刊単行本」と呼ぶ編集者がいる。ほとんど月1冊の割り合いで単行本を書いているからだ。月1冊で、年12冊。多い年には年16、17冊ほども書いているから、ほんとうに単行本を月刊ペースで書いていることになる。

 あまり言いたくないが、実入りはいい。こうして何年もライター稼業をしていれば、なかには長く売れつづける本だってある。最近では初版部数が落ちてきているから、出す単行本がたいてい増刷される。
 こうして書いた単行本が、もうすぐ100冊を超える。もちろん、最初は一般誌の雑誌記者をしていたから、若いころは単行本などまったく書いていなかった。だから100冊の著書は、ここ14、15年で書いたことになる。

 同世代のサラリーマンなら、一流どころでも係長、あるいはその上のクラスになるかもしれない。部長にまではなっていないだろうが、入社20年のベテランクラスだ。
 そのベテランクラスの給料も、社によってかなり開きが出てくる。一部上場の、“いい”といわれる企業で、年収900万〜1500万ほどだ。筆者の年収は、これよりかなりいい。

 たかがパソコン本のライターだ。ソフト解説本のライターだ。それほど知名度があるわけじゃないし、社会的地位だって、3年分の納税証明書を提出して、やっとクレジットカードの審査にパスする程度でしかない。
 この連載の第1回目に書いたように、テクニカルライターですなどといっても、「それって何だかイヤらしい〜」と誤解されるような認知度でしかないのだ。

 ところが、好きなパソコンや面白いソフトの解説を、好きなように書いているし、ときには日常の戯れ言を書けば、エッセイとして発表されたりする。編集者が企画の相談にきて、「そんなもの、売れね〜よ」と一括したりすることだってある。ときには講演会もやるし、取材と称して海外に行ったり、会いたい人にインタビューできたりもする。

 毎日が日曜日である代わりに、締め切り前は徹夜徹夜の地獄もある。朝、いつまで寝ていても、タイムレコーダーがあるわけでもなく、天気がよければふらっと海を見に出かけても誰が文句を言うわけでもない。通勤ラッシュもなければ、同僚との煩わしい人間関係だって無縁だ。
 それでいて、同世代のサラリーマンより多くの収入を得ている。そうなるまでには、もちろん厳しくて孤独な闘いもあったし、これからも確実な収入があるなどという保証は、まったくない。

 だが、あえてそんなテクニカルライターの道に入りたいと思うなら、まず、第一歩を踏みだしてみよう。好きなパソコンの話を書いてみたければ、まず一歩、踏みだしてみることだ。
 原稿を書いてみる。編集者に会ってみる。ライターの知り合いを作り、相談してみる……。道はいくらでもあり、その方法もすでに紹介した。一度や二度の失敗にくじけず、とことん喰らいついてみよう。そうすれば、道は必ず開けるものなのだ。編集者だって、そんなライターがくることを、いつも待っているのである。

 まず、一歩踏みだしてみよう。そこからあなたの人生が広がるのだ。

 ハワイ諸島最大のビッグアイランド、ハワイ島のコナの海の向こうに、大きな紅い夕日が沈んでいく。この夕日が見たくて、ぼくはコナに来てまで原稿を書いているのだ。ライター志望のあなたと、今度はハワイで会おう。(完)






今月のお題

 このお題も、今月で最後。回答を寄せていただいたすべての方に、感謝します。

 で、最後のお題は、自分の好きな、または利用しているPDAを取り上げ、その特徴を1000字以内で説明せよというものだった。

 まず、出題意図から説明しよう。この出題には、2つの意図があった。1つは、1000字という限られた字数のなかで、PDAについてどう解説するかという点だ。読者のなかには、PDAとは何なのかを知らない人も多い。また、“好きな”PDAの解説だから、なかには日本ではまったく紹介されていないものだってあるだろう。それを1000字という限られた字数のなかで要領よくまとめるのは大変なはず。何を切り捨て、何にスポットを当てるかが重要になる。

 2つ目は、“好きな”に象徴されるように、ライターとしてどれだけ情熱をもって原稿を書けるかを見たかったのである。
 実は、PDAものは売れるのだ。そのPDAものも、単純に使い方や機能を紹介するのではなく、自分がどうしてそのPDAが好きなのか、どう使っているのかといったことを、情熱的に語った原稿が、意外に読者に受け入られているのである。好きでもないマシンを、あるいは使ってもいないマシンを、ただ機械的に紹介したところで、読者の琴線には触れない。逆に、情熱的に、まるで恋人を口説くような調子で解説したものが、テクニックを上回るのである。

 回答していただいたものは、期待どおりHP200LXあり、インタートップあり、さらにモバイルギア、ザウルス、Librettoとひととおりのマシンが出てきた。全般的に、筆者の思い入れもたっぶりで、読者欄ならどの原稿を掲載しても面白く読まれるだろう。

 だが、ここで求めているのは読者欄に掲載されるものではない。それではダメなのだ。

 まずHP200LXを取り上げてくれた小川裕司さん。機能を的確に解説し、好きだという思い入れもたっぷり出ていた。が、それが逆に災いして、少ない分量にいろいろと詰め込みすぎてしまったようだ。改行から次の改行までの文章が、氏の文章らしくなく長い。苦心したと書かれていたが、これは書き上げたあと、声に出して原稿を読んでみることをお勧めする。

 文章にはリズムがある。これは句読点もそうだが、改行もまたリズムを生み出す重要な要素なのだ。声を出して原稿を読んでみることによって、息の続かない部分、つまりリズムが異様に乱れている部分が見えてくるはず。1つ2つ文章を削れば、もっと改行が増やせるだろう。それによって、小川さんの原稿は立派な商品となるだろう。

 インタートップを取り上げてくれたのは、岡崎博樹さんだ。富士通の新しいマシンで、一度は所有してみたいと思っている。
 岡崎さんの文章は、しかしスペックの解説に終始し、思い入れが伝わってこない。出たばかりで、まだそれほど触れていないのかもしれないが、第一印象を書くだけでもレビューになるはず。

 この岡崎さんの回答もそうだったが、寄せられた回答のなかには、改行後の字下げのない原稿があった。原稿の書き方については、この連載では触れなかったが、日本語の文章ではたいてい(例外もある)、改行したら次の行は1字下げて書きだす。そういう基本、小学校で教わる基本を、忘れてしまっているのだ。

 あるいは中島孝夫さんの原稿に見られるように、「ですます調」と「だ・である調」とが混在している原稿もあった。実は、こういう混在を意識的にやることもある。エッセイやコラムなどを見ていただくとわかるが、混在させることによって文章に躍動感を与え、リズムを作り出すこともできる。
 が、それは書き慣れてからやることで、いまの段階でやるべきことではない。これも基本中の基本だ。

 ザウルスを取り上げてくれたのは、川崎真一さんと阿部章人さんだ。このうち阿部さんの原稿は、文章が長いのが目についた。巷間でいわれるように、文章は短いほどいいなどとはいわないが、同じ内容なら、長いよりは短いほうがいい。

 今回の応募で感じたのは、文章のリズムをつかんでいない方が多かった点だ。文章にはちゃんとリズムがあり、呼吸をしているものなのだ。自分で書いた原稿を、何度も読み直し、ときには声に出して読んでみる。あるいは、誰かに声を出して読んでもらい、それを耳で聞いてみる。さらに、自分でうまいと感じる作家やライターの文章を、書き写してみるといった訓練もいい。

 そうやって文章を耳で聞き、手で写すことで、文章のリズムをつかみ、そこから自分だけの文章の呼吸を生み出すことができるようになる。それが、ひいては個性につながるのだ。書いて書いて書きまくり、聞いて聞いてききまくるといい。この言葉を送ることで、この連載の締めくくりとしたい。

 なお、本書の連載は、
http://www.takei.gr.jp/ でも掲載しているので、バックナンバーを見てみたい方は、そちらものぞいてみていただきたい。

[目次]

Copywrigth (C) 1997 by Kazumi Takei. All Rights Reserved.