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今月のお題 |
万 年筆からパソコンへ 5月の末、銀座にオープンしたばかりのモンブランブティックに行ってきた。 モンブランといえば、ヨーロッパ最高峰の……じゃなくて、頭にクルクルとクリームが乗ったケーキの……、違うって。モンブランといえば、もちろん日本では万年筆で有名なあのモンブランだ。 これまではデパートの文具売り場、あるいは万年筆専門店、ステーショナリー専門店といったところに並んでいたモンブランだが、万年筆やボールペン、それに財布やノート、バッグ、といったモンブランブランドのもの、さらにタイピンやカフス、マネークリップ、キーホルダーなどまで集めたモンブラン専門ブティックが、オープンしたのである。 先月、ライターの日常生活は、すべてが取材につながっていると記したが、このモンブランブティックに行ったのは、残念ながら取材ではない。あ、こうやってネタにしているんだから、取材の一環といってもいいかな。 実は、モンブランが好きなのだ。というより、万年筆やボールペンといった筆記具が、好きなのだ。好きといっても、もちろんコレクターじゃないから、それほどたくさん持っているというわけではない。値段だって、持っている万年筆やボールペンをすべて足しても、たぶんパソコン2、3台分ぐらいにしかならないだろう。 この万年筆やボールペンは、残念ながらほとんど使っていない。テクニカルライターの筆記具はパソコンであって、万年筆やボールペンではないのだ。 はじめて書いた原稿は、シャープペンシルを使った。もう20数年前のことになる。紀伊國屋の200字詰め原稿用紙に、クロスのシャープペンシルで書いた。まわりにいた先輩ライターの多くが、この筆記スタイルだったため、自然にこの組み合せになったのだ。 女性週刊誌のアンカーマンもやっていた先輩ライターが、これから編集部にアンカー原稿を書きにいくといって、クロスのシャープペンシルを1本だけ胸ポケットにさしてタクシーに乗り込む姿は、ものすごくカッコよかった。アンカー原稿だから、原稿用紙は編集部のものを使う。板前が包丁1本で全国を渡り歩くように(本当?)、ライターはシャープペン1本で出版界を渡り歩くのだ。 この組み合せは、しかしすぐにやめてしまった。シャープペンシルで原稿を書いていると、右手の外側が真っ黒になってしまうのだ。その手が原稿用紙に擦れて、原稿用紙もうす黒くなってしまう。 次に使ったのは万年筆だった。筆圧が強いから、原稿をボールペンで書くという選択はなかった。ボールペンでは疲れすぎて、たくさんは書けないのだ。 やはり同じ紀伊國屋の200字詰め原稿用紙に、モンブランの146という万年筆を使った。ペン先は普通字の太さだった。インクは、シェーファーの2001ウォッシャブルブルー。この組み合せで1年ほど使っていたが、万年筆がヘタってきたため神保町の金ペン堂に持っていったら、 「ペン先が摩耗して、太字用になってますよ。こりゃ、ペン先を変えなきゃダメだな」 とオヤジが言った。ほんの1年ほどで、普通字用のペン先が極太字用のペン先になってしまったのだ。 しょうがないから奮発して、モンブラン149を購入した。あの極太の軸の万年筆だ。これに太字用のペン先という組み合せ。ここからぼくの万年筆放浪がはじまる。 モンブラン149に1回インクを吸入すると、だいたい200字詰め原稿用紙に100枚ほど文字がかけた。ただし、これでは締め切り前にはもたない。インクを吸入する操作は楽しいが、ときには手を汚したりする。 そこで、同じ149を2本購入し、原稿を書く前にそれぞれの万年筆にインクを詰め、これを机の前に置いておく。1本のインクがなくなったら、すかさず2本目に持ちかえて原稿を書く。これでひと晩に150〜200枚近くの原稿を書いた。 万年筆と原稿用紙という組み合せは、それから10年近くも続いただろうか。その後ワープロを、そしてパソコンを導入したのだが、最初のころはそれでも原稿は万年筆と原稿用紙を使っていた。いまのようにパソコンだけで原稿を書くようになったのは、パソコンを導入してから2、3年たってからだ。 その間に、万年筆を10本以上も購入した。万年筆を使わなくなってからも、この道楽はつづいている。さらに、あまり使わない万年筆ばかりではつまならいからと、ボールペンにも凝りだした。最近では、WindowsCEやPalm Pilot用のタッチペンにまで凝っていたりする。ほとんど病気だな、こりゃ。 2 台のパソコンを華麗に操る!? 10年近く万年筆で原稿を書いていたが、いまではほとんど万年筆など使わない。もちろん、パソコンで執筆するからだ。 テクニカルライターだからパソコンで原稿を書かなければならない、という理由はない。パソコンで書いたほうが便利だという理由はあるが、その便利さも、実はパソコンで書くことの便利さではない。 パソコンで原稿を書く理由は、原稿を書いたあとの処理につながっている。 たとえばぼくは14、15年前に、まだ出はじめたばかりの日本語ワープロで1冊の本を書いた。8文字表示の液晶がついたワープロ専用機で、いま考えると、よくこんなマシンで原稿が書けたものだと感心する。 このワープロ専用機には、フロッピードライブなどついていなかった。バブルメモリという記憶装置があったが、ほとんど普及していない。しかたなく、音楽用カセットを接続し、カセットテープにデータを記憶させた。 このカセットを、出版社の大型日本語ワープロ機に接続して読み取り、さらにこれを8インチフロッピーに落とし、それを印刷所の電算写植機にかける。これで本になる前のゲラ刷りが出てくる。いまでいえばフロッピー入稿だが、当時どの出版社も、あるいはどの印刷所も、こんなシステムは特例だった。 その後、大型ワープロやパソコンへと、書く側のシステムも変わったのだが、出版社や印刷所のシステムがそれほどダイナミックに変わるわけではない。 ワープロやパソコンで書いた原稿をフロッピーに落とし、これを出版社や印刷所に渡しても、これまでどおり写植機には手入力された。手書き原稿と、扱いは同じだったのだ。当然、原稿では正しかったはずの部分が、ゲラでは間違っていたりした。当時のフロッピー入稿というのは、フロッピーで入稿して印刷所で出力し、これを見ながらオペレーターが写植機に手入力していたのだ。 もちろん、その後じょじょにシステムが発展し、いまではフロッピーで入稿すれば即座にゲラが出てくるようなシステムになってきている。いや、フロッピーを編集部に渡せば、ここでDTP処理され、出力屋でフィルム出力されて、印刷所では印刷されるだけというシステムも増えてきている。 そして、このシステムで単行本を作成しようと思えば、原稿はデジタルデータで作成される必要があるのだ。これがテクニカルライターが原稿をパソコンで書くことの、最大の理由だといってもいい。 では、パソコンはどんなマシンを使えばいいのか? デジタルデータを作成するという理由だけなら、どんなパソコンでもいい。どんなパソコンでも、原稿をデジタルデータで作成できる。極端な話、10年前の日本語ワープロ専用機だっていい。 ただし原稿を書くためには、そのテーマであるソフトやマシン、周辺機器などを使う必要がある。つまり、ソフトや周辺機器が使えるマシンが、1台は必要になるわけだ。原稿を書くために毎回、編集部や出版社にマシンを借してもらうようでは、やがて原稿の依頼もこなくなってしまうだろう。 当然ながら、このマシンは最新のものがいい。解説するソフトを快適に動かすためには、相応のマシンがいいわけだ。古いマシンでは、使えない機能もあったりする。 このマシンとは別に、原稿書き専用のマシンがあるともっといい。たとえば、ソフト解説本を書くケースを考えてみるといい。 ソフトの解説を行うためには、当然ながら解説するソフトを動かす。すべての機能を使い、それらがどのようになっているか覚え、順序だてて解説していく、などということは不可能だろう。少なくとも、筆者程度の技量では無理だ。 そこで解説するソフトを動かす。動かしながら、同時に原稿も書いていく。1台のマシンで、もちろんこの2つの作業が可能だが、2台あればもっと手際よくできるだろう。1台のマシンでソフトを動かし、あるいはメニューを出し、画面をキャプチャーしながら、もう1台のマシンで原稿を書いていく。 ソフトの操作を間違えたり、あるいはテクニカルライターならβ版のソフトを動かしながら原稿を書くことだってある。そんなときにもマシンが2台あり、1台でソフトを動かし、他方で原稿を書いていれば、仮にソフトがハングアップしてマシンのリセットを余儀なくされても、原稿書きマシンのほうには影響がないから安心だ。 テクニカルライターは、2台のマシンを華麗に操りながら原稿を書いていくのだ。ただし、原稿書きマシンにも最新のものが欲しくなるというのも人情。最新マシンをいつも2台持つのは、けっこう大変なことだ。 結局、1台の最新マシンでソフトを動かしながら原稿も書く。そしてソフトがハングアップして、書いた原稿が消えてしまい、泣く泣く徹夜するハメになってしまったりする。こうなると、テクニカルライターの世界は地獄なのだ。 ワ ープロよりエディタと心得るべし このパソコンで原稿を書くのに、ぼくは秀丸エディタを使っている。秀丸エディタは、斉藤秀夫氏が開発したシェアウェアソフトだ。カスタマイズ機能が豊富で、あちこちカスタマイズし、マクロを自作し、もう秀丸から逃げられない身体になってしまった。 ときどき、ビレッジセンターから発売されているWZ Editorも利用する。ちょっと気分を変えたいとき、あるいは縦書きで原稿を書きたいときなど、WZ Editorが便利に活用できる。最初からWZ Editorで原稿を書くこともある。 秀丸エディタもWZ Editorも、どちらもお気に入りのエディタで、それがこうじて市販解説本も書いてしまった。その前に気に入っていたのが、やはりビレッジセンターから発売されていた兵藤嘉彦氏のVzエディタだ。これはもう、気に入るなどという段階を通り越していた。市販解説本も、4冊ほど書いてしまったほど。書いた雑誌記事にいたっては、50本近くあるかもしれない。 こうしてみると、気に入ったソフトの解説本ばかり書いているようだが、その傾向は少なくともぼくの場合は強い。気に入っているから、他のユーザーにも勧めてしまいたくなるのだ。 それはともかく、パソコンを使って原稿を書くには、エディタを使う。ワープロソフトでも、あるいは極端な話、Windows95付属のメモ帳でもいいのだが、書く道具の絶体条件は、テキストファイルが作成できるという点だ。テキストファイルとは、俗にいうDOSテキフトファイルのこと。文字と改行コードだけで作成された、素のテキストファイルである。 逆にいえば、テキストファイルが作成できれば、ワープロソフトでもかまわない。ワープロソフトのDOSテキスト変換機能を利用し、素のテキストファイルが出力できれば、そのファイルをどんなソフトで作成しようがかまわないのである。 なぜエディタがいいのか、あるいはテキストファイルがいいのか。もちろん理由がある。それは雑誌の記事や単行本の原稿が、次にどのように加工されるかを考えればわかるだろう。 単行本の場合を例に、説明しよう。ごく一般的な例で説明するから、もちろんここで説明するシステムとは異ることもある。 まず、作成された原稿ファイルは、編集者がパソコンで読み込み、目を通す。このときはエディタを利用したり、あるいはワープロソフトで読み込むこともあるだろう。元原稿はコピーをとっておくのだから、それをどんなソフトで読み込もうがかまわない。 あるいはこの段階で、DTPソフトに読み込み、割り付けていくこともある。この場合も、利用しているDTPソフトに読み込むためには、原稿は素のテキストファイルのほうが望ましい。 編集者は、原稿ファイルをワープロソフトやDTPソフトに読み込んで目を通しながら、若干の修正を加えていく。ここは編集作業だから、ライターがとくに詳しく知る必要はあまりないのだが、知らないより知っていたほうがいい。 かな漢字の変換間違えを修正したり、用語の統一を行ったり、あるいは不要な言葉を削除したり、ときにはページに合わせて改行位置を変えたり文章を伸ばしたりすることもある。編集部や編集者、あるいは出版社によって、これらは若干異っている。使用する用語が、出版社によって異っているのだ。 たとえば、「コンピュータ」と記述する出版社もあれば、「コンピューター」と音引きする出版社もある。「行う」と短くふり仮名をふる編集部もあれば、「行なう」と書く編集部もある。 それらはライターが編集部、あるいは出版社によって書き分ければいいのだが、はじめて仕事する出版社の場合もあるだろう。ひとつの原稿のなかでさえ、用語が統一されていない場合だってある。 これら原稿の不備を修正・訂正していくのも、編集者の重要な仕事なのだ。編集用語でいえば、「原稿整理」という作業である。 編集者が修正した原稿は、編集者がDTP作業を行なっている場合をのぞき、再びDOSテキストファイルに戻され、印刷所に回されて電算写植機にかけられることになる。 あるいは、編集者が目を通すのと同時進行で、印刷所で電算写植機にかけ、ゲラを出すこともあるだろう。この場合も、電算写植機にかけるためにはDOSテキストファイルが望ましいのだ。 ゲラ刷りを修正することを、“赤を入れる”などとも呼んでいる。著者校だ。著者が行なう校正作業である。これはゲラ刷りに、赤鉛筆や赤いインクのボールペンなどで修正していく。この段階では、もうパソコンはほとんど使わない。追加原稿や、大幅な修正箇所の原稿を書くときにパソコンを使い、これを印字してゲラに貼り付けたり、あるいはその追加原稿ファイルを編集者に送ったりするが、基本的にはライター側のパソコンの出番はない。 こうして原稿の手直しが終われば、原稿はライターの手を離れてしまうから、もうライターのパソコンで原稿を書くことはないわけだ。つまり、最初の原稿を書く段階でパソコンが必要であり、その原稿はDOSのテキストファイルで作成することが一般的なのである。 DOSのテキストファイルを作成するためには、だからエディタがいい。エディタを利用する最大の理由が、これなのだ。動作が速いとか、マクロが使えるとか、原稿のバックアップファイルが簡単に作成できるといった点は、二の次だといっていいだろう。 もちろん前述したように、これらのシステムは出版社や編集部によって異っている。MacintoshでDTPを行なっている編集部もあるだろう。この場合、Macintoshのファイルのほうがいいことだってある。 あるいは、デジテルデータに対応していない編集部だってある。テクニカルライターの取引先としては、いまでは珍しい存在だろうが、そういう編集部だってあるのだ。また、コラムやエッセイを依頼された場合、とくに文芸系の出版社では、デジタルに対応していないことも少なくない。こういう場合は、印字したものを渡すことになるが、こんなときはワープロソフトを利用して、見栄えのいい原稿を渡すといいだろう。 もっとも、ぼくはデジタルに対応していない編集部では、強硬にパソコンを導入させ、ついでにパソコン通信かインターネットに接続できるよう出張して設定までしてしまう。これで自宅から通信で原稿が送れるから、そのほうが便利なのだ。 写 真から画面キャプチャまで ライターが書かなければならないのは、原稿だけではない。ときには掲載する画面や写真、さらにそれらのキャプション、そして表やグラフを作成することだってある。 一般書を書いた経験があるライターなら、ちょっと変だなと首を傾げたくなるかもしれない。一般書の場合、ライターは原稿は書くが、写真はカメラマンに依頼するし、イラストはイラストレーターに発注する。ライターは、どんな写真が必要なのか指示したり、あるいはこんなイラストがいいとラフを書く程度で、ライターが書いたイラストがそのまま収録されるなんてことはほとんどない。 ところが、ソフト解説書やマニュアル本となると、話は別だ。これも編集部によって異っているが、掲載する写真から画面まですべて、ライターが作成しなければならない編集部は、けっこう多いのだ。 というのも、解説本やマニュアル本に収録される画面というのは、文章の一部のようなものだと考えていい。文章では説明しにくい部分、あるいは画面を見せたほうがわかりやすい部分といったものを、文章ではなく画面で説明する。ときには画面に引出し線を加え、キャプションで説明したりもする。いや、このところ画面ばかりを掲載して説明した解説本のほうが、売れていたりするではないか。 これらの画面をすべて編集者がとるとなると、本のテーマも目指すものも、そして著者さえも変わってしまう。テクニカルライターの文章と画面は、対になるものなのだ。 もちろん編集部によっては、掲載する画面を編集者がすべて作成するところもある。こんなときは、掲載画面を著者が指定することになる。文章のどの部分に画面を入れるか、原稿のなかで指定しておくわけだ。 掲載する画面をとるためには、Windowsの場合はJASC,Inc.のPaint Shop Proというソフトを利用しているライターや編集部が多い。もちろん、たとえばWindows95なら、Windows95の機能だけで画面キャプチャを行なうこともできる。が、やはり画像ソフト、それもアクティブウィンドウだけを指定して簡単にキャプチャのできるソフトのほうが、手軽で便利なのだ。 ぼくもWindows 3.1のころは、このソフトを利用していた。が、Windows95が発売されてすぐ画面キャプチャを行なう必要があり、まだ16ビット版のPaint Shop Proで画面のキャプチャを行なったところ、出力される色がおかしかったため、インターネットでキャプチャソフトを探して、Greg Kochaniak氏のシェアウェアであるHyperSnap(現在はHyperSnap-DX)を見つけ出した。32ビット版にいち早く対応した画面キャプチャソフトで、これは便利だった。32ビット版のPaint Shop Proの画面キャプチャ方法が、16ビット版のものと変わって指に馴染まなかったため、いまでは画面キャプチャはHyperSnapを利用している。 写真を掲載したいときは、なるべく一眼レフカメラを使って自分で撮影する。オートフォーカスの一眼レフカメラなら、素人でもそこそこの写真が撮れる。ソフト解説本やマニュアル本といっても、コーティングされた紙を使うわけではない。また、雑誌のカラーページに掲載する写真ではない。ごく普通の単行本なら、そこそこの写真で十分なのだ。 ときには、デジタルカメラで撮影し、このデータファイルを添えることもある。最近のデジタルカメラなら、やはりそこそこの写真が撮れる。これをDTPで入れれば、まあまあの写真になるのだ。 あるいは、写真をデジタルデータで欲しいときは、ミノルタのQuickScan35を利用して、ネガから読み取ってBMPファイルにし、これを添えることもある。 テクニカルライターに必要な道具といえば、こんな程度だろう。パソコンにエディタソフト、画面キャプチャソフト、それに必要ならデジタルカメラやフィルムスキャナといったところだ。原稿用紙に万年筆1本という執筆スタイルと比べると、ちょっと元手もかかる。それにパソコンだって、ほとんど毎年新しい機種に買い替える必要もあるから、これからテクニカルライターになろうと思うなら、思い切って最初に投資したほうがいい。 あとは著者校で使う赤鉛筆とマーカーくらいでいい。ぼくは赤鉛筆の代わりに、アメリカで購入したカランダッシュのボールペンに、赤のカートリッジを入れて使っている。マーカーは、モンブランのドキュメントマーカーだ。このへんは、ぼくのコダワリでしかない。 原稿用紙に万年筆という執筆スタイルも懐かしいが、テクニカルライターの世界では望むべくもないのだろう。原稿をデジタルデータで作成し、通信で編集部に入稿。DTPでファイルを作成してフィルム出力し、印刷所で印刷するという、高度に進んだテクニカルものの出版現場では、悠長に万年筆で原稿を書くというのは、ノスタルジーでしかないのかもしれない。 というわけで、来月号ではこれらのパソコンとエディタを使い、実際に原稿を書く作業について説明しよう。テクニカルライターの文章の書き方だ。 |