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今月のお題 |
毎日が日曜日 C OMDEXに行きたい! いま、この原稿を書いているのは、12月の初旬。関係ないけど、あたしの誕生日の翌日なのだ。 そしてこの原稿が掲載されるのは、1月に発売される2月号。 はい、今年の冬は寒いですねぇ。お正月、お餅いくつ食べましたか? なんてことを、まだクリスマスの飾りつけも完成していない時期に書かなければならないのである。 この時期、つまり10月末から12月中旬にかけて、テクニカルライターは、いや出版関係者はモーレツな忙しさに突入する。 これを俗に「年末進行」と呼んでいる。年末年始は、印刷所も取り次ぎもお休みだから、前倒しで本を作ってしまおうというわけだ。通常、月刊誌なら月1回の締め切りだが、その締め切りが1回分多くなる。 月刊誌ならまだマシ。週刊誌ともなると、3週分くらい一度に作り、さらに年明けの分も原稿だけ先に入れてしまおうとばかり、月4回の締め切りが10回くらいやってきたりする。 もっとも、近年では年末進行だけでなく、ゴールデンウィーク進行だのお盆進行だのというものもあって、シワ寄せはいつもライターのところにやってくるのだ。 どのくらいのシワ寄せかって、たとえば月刊誌3冊に連載をもっていたとする。通常なら、月3回、10日に1回の締め切りですむ。これが単純に2倍になれば、5日に1回の締め切りだ。月3回でも大変なのに、一挙に倍になれば、当然ながらオーバーワーク。 雑誌だけじゃない。単行本だって同じ。出版界の年末進行にあわせて逆算すると、12月5日、遅くも10日までに原稿を入れれば、なんとか年内に本になって書店に並ぶ。ちょっと編集に時間をとられると、年内に配本されなくても、なんとか形にはなって、年明け早々には書店に並ぶのだ。 そんなわけで、秋の終わりからクリスマス前にかけて、ライターの地獄の日々が始まるのである。 「年内に出したいから、遅くも12月5日までに原稿上げてね」 なんて気軽にいってくれちゃう編集者が、2人や3人じゃない。 「今月は年末進行ですから、3月号の原稿まで入稿してください」 なんて気軽にいってくれちゃう雑誌編集者も、2人や3人じゃない。 みんな赤い顔や青い顔で、おまけに角さえ見え隠れしている。そりゃあ、編集者はいいですよ。下手しても、いつもの倍の仕事ですむから。ライターにとっては、締め切りの数が倍になるだけじゃない。2本が4本に、4本が8本になって、まさに地獄なのだ。 「というわけで、Comdexから帰ってきました。今年のComdexは、WindowsCEで盛り上がっていましたよ。お土産ありますから、原稿完成したらお届けしますね」 という電子メールが、2通も3通も届いていた。バッ、バーロー! こちとらずっとComdexに行きたいと思っていたのに、いつだって年末進行にぶつかって、まだ一度も行ってないんだぞ。一度なんて、雑誌2誌に特集ページ作ってもらって、取材先の手配からカメラマンの手配まで全部やったのに、結局年末進行の原稿抱え込んで行くに行けず、泣きながら原稿書いてたんだぞ……。 今年も(というわけで、読者にとっては去年なのだが)Comdexに行けなかったことの恨みを愚痴ってるわけじゃない。これが、読者のみなさんがちょっとやってみようかな、なんて考えているテクニカルライターの生活の一片なのだ。ライターの仕事と、そして向き不向きについて、今月は考察してみようと思う。オレだってComdexに行きたかったんだぞ(しつこいって!)。 編 集者主導の雑誌記事 ひとくちにテクニカルライターといっても、先月書いたように、それぞれのフィールドというものがある。雑誌を中心に活躍するマガジンライターもいれば、単行本ばかり手がけるブックライターもいる。もちろん、その両方をバランスよく書き分けるライターだっている。 ところが、雑誌の仕事と単行本の仕事とでは、同じライティングという世界でも、その性質はかなり異なっていると思ったほうがいい。そして、これはテクニカルライターの世界での特殊事情だといってもいいだろう。 まず、雑誌だ。ごくふつうの一般誌の場合、ライターにはデータマンとアンカーマンという2種類がいる。「ごくふつうの一般誌」と書いたのは、それ以外の例外がたくさんあるからだ。「ごくふつうの一般誌」とは、いわばモデルケースだと考えていただきたい。 データマンというのは、あちこちに取材し、その取材を原稿(データ原稿という)にするライターのことである。取材力は問われるが、文章力はそれほど問題にされない。データマンの書いた原稿が、そのまま活字になるわけではないからだ。 いや、口頭伝達といって、取材で仕入れた話を原稿におこさず、口頭でアンカーマンに伝えるだけなんてこともある。いわば口寄せですな、こりゃ。 アンカーマンというのは、データマンの書いてきた原稿をもとに、これをまとめて最終的な活字になる原稿を書くライターのことである。こちらは文章力が問われる。構成力も問われるが、これは総合的な文章力の能力のひとつといっていい。代わりに、人間性は問われないようだ。ほんと、ヤなアンカーマンってどこにでもいるのだ。 アンカーマンを編集者がこなすこともあるし、データマンがそのまま最終原稿まで手がけることもある。あくまでモデルケースだから、雑誌によって、また担当する編集者によってもシステムは異なってくる。 このデータマン・アンカーマンのシステムを作ったのが、トップ屋のはしりで後に作家となった梶山利之だ。俗にいう梶山軍団。昭和30年代の当時から、こんなシステムで週刊誌や月刊誌の記事は作られてきたのである。 ところが、ことパソコン雑誌にかぎっては、こんなシステムはまったくない。ライターとは、文字どおり文章を書く人で、書いた文章はOKが出れば、そのまま活字になって世に出てしまう。 データマン・アンカーマンのシステムでは、駆け出しのライターはデータマンとして取材の方法や文章の書き方を学ぶことができた。しかしテクニカルライターの世界では、取材の方法も文章の書き方も、誰も教えてくれない。すべては最初から”プロ“として、書いたものだけで勝負しなければならないのだ。 逆にいえば、だからパソコン雑誌の記事がわかりにくいだの、パソコン・ジャーナリズムなどというものはない、などと批判されるのだ。文章修行の場もなければ、ジャーナリズムとは何ぞやなんて身をもって教えてくれる先輩もいない。 一般的なパソコン雑誌では、まず編集者が集まって編集会議が行われ、ここで次の号のテーマが決まる。このとき、ライターが持ち込んだ企画が担当の編集者によって会議にかけられ、OKが出れば持ち込んだライターに原稿が発注されることになる。 編集会議でテーマが決まると、編集者はライターを物色する。言葉は悪いが、まさに物色だ。このネタなら誰に書いてもらえばいいのか、それを考えるわけである。もちろん、編集会議ですでにライターまで決定していることも少なくない。 ライターが決まれば、編集者がライターに連絡をとり、原稿の依頼となる。ライターで読ます記事でなければ、編集者が懇意にしているライターに依頼することも多い。あとはライターの力量次第。取材するライターもいれば、知っている知識だけで書いてしまうライターもいる。いや、そもそも取材をするという発想を持っているテクニカルライターのほうが少ないというのが現状だ。 一方編集者は、原稿以外の誌面、つまり写真やレイアウトなどの手配に走る。自分で写真を撮ってしまう強者もいるし、メーカーやソフトハウスに広報用の写真の貸し出しを手配する者もいる。レイアウトも、自分でやってしまう編集者もいれば、全面的にデザイナー任せの編集部もある。 こうして雑誌の特集記事4ページが、あるいは10ページの大特集記事が、作られていくのである。 テ クニカルライター魚屋さん 雑誌記事が、編集者主導で作られていくのに対し、単行本はライター主導で作られていくことが多い。 単行本、つまりソフト解説書だのマニュアル本だのといった、いわば書店に並ぶパソコン本の場合も、もちろん編集部で編集会議が行われ、テーマが決められ、ときには判型から装丁、ページ数、価格、部数まで決められる。営業部員も交えて、かなり綿密な企画会議が行われるのがふつうだ。 しかし、こちらにはライターの入り込む余地がたくさんある。たとえば、企画。 編集者が考えた企画で、単行本が進行することもある。が、ライターの持ち込み企画がそのまま単行本になるケースは、もっと多いはずだ。だいたい、マニュアル解説書だのパソコン本だのというのは、魚河岸の生鮮食料品みたいなものなのだ。鮮度が命。包丁さばきが命。 最近のパソコン業界では、マシンは3カ月でモデルチェンジする。3カ月前のマシンスペックは、ひと昔前のものなのだ。ソフトウェアだって、長くても1年、短ければ1カ月おきくらいにバージョンアップしていく。 それにしたがって、パソコン本の寿命も短くなってしまうのだが、それでも長ければ1年間はなんとか売り続けることができる。良心的な出版社なら、ソフトのバージョンアップごとに解説書も改訂しているくらいだ。 ただし、それでは売り上げの利幅も少なくなってしまうから、なるべく最新のバージョンで本作りをしたいと思うもの。勢い、現在のバージョンで解説を書きながら、ゲラの段階で最も新しいバージョンに合わせて辻褄合わせをしていくことになる。 利に聡い出版社なら、こんなことはしない。とにかくそこそこ売れていれば、改訂なんて金のかかることはやらない。売れているからといって、いまだにBASICの解説書を平気で売り続けている出版社だってあるくらいだ。 まことにもって恐縮なのだが、筆者にもそんな本が何冊かある。12、13年前に出した某マシンの解説書が、いまだにそこそこ売れ続けていて、毎年1万部ほど増刷し続けている。その内容たるや、まったくもって現状にそぐわないのだが、出版社が改訂しないと言い張っているのだ。すでに20万部近くも売っていて、毎年いくばくかの印税が入ってくるのだが、これは恥だとさえ思っている。 新鮮さが命だから、グタグタと編集会議で時間をかけて煮詰めた企画より、ライターが持ち込んだ新鮮なネタのほうが勢いもあるってもの。だいたいからして、文科系の権化のような出版社の編集者というのは、パソコンだの情報産業だのといったものが苦手なのだ。仕事だから、しょうがないと思っている編集者も少なくない。情報化、あるいはOA化に最も乗り遅れているのが出版社なのだ。 もっとも、パソコン本を出そうっていう出版社だけに、なかには進んでいるところもあるし、増えてきているのも事実。そうなると、そのへんの駆け出しライターが持ち込んだような陳腐な企画では、とてもゴーサインが出ないなどということにもなりかねない。 何度も書くようだが、パソコン本は鮮度が命。だから雑誌に連載していたものがほどほどの量になったからといって、それを単行本にまとめて出版するなどということは、ほとんどないと断言してもいい。コラムや業界の面白ネタならいざしらず、半年も1年もかけて連載していたようなネタでは、単行本になったときにはノスタルジー以外のなにものでもなくなってしまう。 そんなわけで、雑誌ライターが単行本に移行するのは、けっこう大変なのだ。いまやパソコン本は、雑誌とまったく同じサイクルで生まれていくもの。単行本を、まるで月刊誌を出すような感覚で書けなければ、まずブックライターになるのは諦めたほうがいいだろう。 そ れでもキミはテクニカルライターになりたいか? ここまでの話で、テクニカルライターに向く人、向かない人というのが、少しずつ見えてきたことだろう。 そう、時代の半歩先を見とおし、読者のちょっと前を駆け足で走る感覚のない人は、テクニカルライターなんぞ夢見ないほうがいい。何も技術予測をしろというのではない。いってみれば、嗅覚みたいなものなのだ。次に何が流行り、ユーザーがどこに向って歩こうとしているのか、何を求めているのか、それをかぎ分ける嗅覚が必要なのだ。 ルーズソックスのコギャルはチョベリバ、なのだ。たまごっちは、テトリスJr.よりも偉いのだ。そして、データスコープとカシオペアが欲しいのだ。 あ、そこ、笑わないように。なんせこの原稿は、96年12月に入ったばかりで書いているのだから。 もちろんこれらの能力は、一般誌のライターにも求められているもの。その能力のなかでも、テクニカルライターにはとくにパソコンやソフトに関係する部分で、読者の半歩先、時代の半歩先を行く感覚と能力が必要とされるのである。 文章力だの取材力だの、あるいは企画力だのといった能力も、もちろん必要だが、それ以上に必要なのが、時代感覚だといっていい。一匹狼のテクニカルライターだからこそ、誰よりもこの能力が必要になってくるのである。 一般誌のライターなら、それもそこそこの能力でいいだろう。文章力が足りなければ、アンカーマンやリライターが助けてくれる。一生をデータマンとして過ごすライターだっている。どこかのライターのように、データ原稿を編集者が手直しして、それで賞まで獲ってしまうことだって、ないとはいえない。 時代感覚がなくても、古い事柄を掘り下げることで、新しい事実を発見したり、あるいは貴重な歴史証言を掘り起こすことのできるライターだっている。その意味でいえば、パソコン業界などにとどまらず、懐の深い世界で思う存分力を発揮できるライターもいるだろう。 ところが、ことパソコン業界、いやテクニカルライターの世界では、読者の半歩先を行く時代感覚が最も重要なのだ。1年ももたない単行本を、それこそ月刊誌のごとく生産しつづける必要があるのだから、この能力がどれほど大切なものかおわかりだろう。 意外かもしれないが、体力だって重要だ。年末進行の地獄のまっただ中では、小間切れに1日4時間の睡眠がとれればいいほうだ。寝るのが趣味。1日8時間寝ないと、どうも体調悪くてね、などという方は、区役所の窓口でふんぞり返っていたほうがいい。5時になったらきっちり仕事をやめ、同僚と赤提灯に行く幸せを噛み締めていただきたい。 忙しいときは、キーボードの上に頭をのせ、イスにすわったまま寝る――この芸当ができればテクニカルライターとして一人前だ。パソコンの電源など、切ったことがない、ということが秘かに誇りになるようでなければならない。 そして、自己管理能力は必須条件だ。ライターの仕事とは、原稿を書き上げることである。それも締め切りまでに完了しなければならない。それまでいくら遊んでいようが、締め切り日にきちんと原稿が書きあがっていれば、誰も文句はいわない。 逆に、毎日どんなに苦労し、寝る間も惜しんで取材したり資料を調べたりしても、締め切り日に原稿があがっていなければライター失格だ。 テクニカルライターの毎日は、日曜日なのだ。一日中ベッドのなかで寝ていたってかまわない。昼すぎに起きて散歩し、陽の高いうちからアルコールを味わっていたって、誰にも文句はいわせない。毎日が日曜日。 いや、日曜も祝日もない。あるのは締め切り日と、そうでない日の違いだけだ。だからこそ、強固な意志で自己管理を行なえなければならない。日常に流され、ヘラヘラと(顔のことじゃないぞ)惰性で過ごすようでは、とても締め切りなど守れない。そして締め切りが守れないライターは、編集者に相手にしてもらえなくなる(自戒)。 もちろんこれは、テクニカルライターとして一人前になりたいという人、そしてライターとしてとにかくなんとか食っていこうという人向けの話。サラリーマンとの二足のワラジで暮らそうとか、一生に一冊は自分の名前が刷られた本が出したい、などと夢見る方なら話は別だ。 原稿料や印税などの収入については、これはいずれ細かく書くつもりだが、テクニカルライターにかぎらずフリーのライターとして一人前といえるのは、同年配のサラリーマンの2倍以上の収入があって、はじめて人並みなのだ。 96年度前半の調査だが、全サラリーマンの年収の平均は457万2000円。男性平均なら564万円。首都圏にかぎれば、たぶん平均年収は700万円近くになるだろう。さらに銀行員や商社マンといった一流企業になると、30代後半で1200万円以上にもなる。 この2倍の年収、つまり最低でも1000万円、一流企業の社員と張り合うなら2400、2500万円の年収がなければ、人並みとはいえないのである。かつては3倍といわれていたが、税金や福利厚生、退職金、年金といったものを考えれば、現代なら2倍でもいいだろう。 テクニカルライターだって、たんなるひとつの職業にすぎない。その職業に就くからには、収入のことを考えるのは当然のことだ。収入を無視した職業選択などありえない。 だとすれば、自分がテクニカルライターに向いているのか、テクニカルライターを続けていく自信があるのかどうか、もう一度胸に手をあててよく考えていただきたい。決してバラ色の職業なんぞではないのだ。 それでもテクニカルライターになりたいという方。あえてイバラの道を進んでみようと決意したあなた。そんなあなたには、次号から秘かにテクニカルライターへの道をお教えしよう。企画書の書き方から売り込みの方法、取材術からライティングテクニック、そしてコネの作り方まで、いよいよ次号からは実践編だ。乞うご期待。 |